感染性心内膜炎闘病記とその後の生活

感染性心内膜炎により大動脈弁の機械弁置換と僧坊弁の形成術を受けました。術後12日目に左硬膜下の出血が起こりし言葉が出なくなりました。直後に回復しましたがどうも舌の回りがわるくなりました。その後の愛犬との平穏な生活の記録です。

術後8か月目 毎月の定期検診 

2020/11/2(月)

術後8か月目の定期検診

10月30日に採血して抗血液凝固剤の効き目をはかる。

その結果は数日経ってから連絡をいただく。

なかなか安定しない。

今回の結果も少し低め。

ワーファリン増量。

今日はお仕事。

遅くなりそう。。

奥さん、心配かけてすみません。


18:49 遅くなりそう

18:50 もう!無理しないんだよ‼️

18:50 ワーファリン1.76だったから明日朝から9.5㎎に増量する。

術後7か月目 毎月の定期検診

2020/10/10(土)

術後7か月目の定期検診&心臓リハビリ

リハビリのあと、お買い物して帰る。

今日はお気に入りのワインを一本。

コスパ最高のフルボディの赤。

スペイン産。



12:37 どれくらいで来られる?

12:37 わかったら教えて

12:50 診察の方が後なの?

12:54 いや診察も採血も先だった

12:54 そうか~

12:55 いろいろ聞いてたらリハビリ15分遅れた。
みんな待っててくれた。
だから終わるの15分遅くなった。

術後6か月目 ワーファリンの減量 INR上がりすぎ

2020/09/28(月)


09:27 ハートクリニックの◯◯院長から電話あった。

INR2.6だって。

心臓外科の◯◯先生の指示で2.0から2.3にコントロールする必要があるから、明日朝からワーファリン9.0mgにしてくださいって言われた。"

11:41 あらー❗
今度は、上がり過ぎですか~😆"

術後5か月目 脳神経外科受診 血腫は無くなった‼️

2020/8/29(土)

心臓の手術後12日目に硬膜下血腫を発症してしまった。

その後、再発に恐れ慄きながらの生活が続く。

しかしようやく血腫もなくなった。

ありがとうございます。

これからも、血液サラサラの薬、ワーファリンを飲んでいるので頭をぶつけないように気をつけなければならない。



10:01 これは3月の硬膜下血腫の写真。

10:07 治った‼️

10:11 もう脳神経外科に来なくて良いって‼️

今後は、再発してもすぐなおるから、ふらついたり頭が痛くなったりしておかしくなったら来てって‼️

もう治ってるから五苓散も今のがなくなったらやめて良いって‼️

前回の血液検査結果も問題ないから記念に結果持って帰ってだって‼️

心配おかけしてごめんなさい‼️

術後5か月目 引っ越し後の初検診(心臓外科)

2020/8/22(土)

14:39 引っ越し後初診察。新しいクリニックへ通院。

診察終了。会計待ち。

MRI今日いっぱいで撮れないらしい。

7月20日の画像診るかぎりもう治ってるって。

今日MRIの予約するんだって。 

脳ミソに隙間あるみたいだから少しくらい血腫できても大丈夫みたい。

この隙間は正常なすきまだって。来週土曜日にMRI予約した。

あと五苓散まだのむみたい。


16:29 採血とエコー終了。

大動脈弁の漏れも機械弁由来の漏れ以外ないみたい。

僧帽弁も順調だそう。 

寝る向きて機械弁の機能は変わらないらしい。

少し左側に心臓があるから寝る向きで感じ方が違うそう。


これからリハビリ。

術後4か月目 硬膜下血腫は治ったみたい

2020/07/20(月)


11:32 まだ循環器科の診察待ち。

脳外科は終わった。

硬膜下血腫はもう治ってるみたいだって。

でもまだ漢方薬3か月分出るみたい。"

11:37 あらー

11:45 "診察終わった‼️

ワーファリンまた増えた‼️

効かんのお。"

術後3か月目 手術後の入院生活

手術の当日と次の日はICUにいて、痛みといろいろな管に繋がれた窮屈さと、何も出来ない退屈さで長い長い二日間でした。



朝ごはんのお粥は、米を食べたいというより水の代わりに水分がとりたいから食べる。という感じ。


切って縫ったばかりの心臓にお粥が入らないかと心配になる。入る訳はないが、初体験の手術でありすべてがわからない。心臓を手術するということが信じられない。


水はほとんど飲ませてもらえない。


そうこうしてるうちに、夜になった。


明日からはリハビリが始まるらしい。
動くなんて信じられない。


翌日のリハビリは、まず起き上がってベッドの端に座ることから始まった。


体が重くて動かない。手術室に歩いて行ったとは思えないくらい体が重い。


ひょっとしたら体を動かすと縫い合わせた心臓や胸の傷が弾けそうでこわかったからかも知れない。


ゆっくりゆっくり体を動かしていく。
次はベッドの向かい側にある椅子まで歩いていく。


本当に怖いことだらけだった。


リハビリが終わるとICUの看護師さんが、「退屈でしょう。」といってテレビを持って来てくれた。


ありがたいが、この状態で「テレビみます?」と聞く方も聞く方だし、本当にICUのベッドサイドにテレビをおくんだ。と信じられない思いだった。


普通に見たことがある番組がやっていて、笑える番組を選んでくれているが、まったく笑えない。


むしろ信じられない。人がこんな思いをしてるのに。


ひとつひとつ、目の前で自分の身におこる不思議に驚きながら時間が過ぎていく。


執刀してくれた先生によると経過は順調らしい。
翌日、予定通り一般病棟に移動した。


移動には執刀してくれた先生がわざわざ私がのった車椅子を病室まで押して歩いてくださった。


部屋を出ると驚くほどの数の部屋がICUにあることがわかった。手術室の数が15部屋あるから当然かも知れないがとんでもなくICUが広いことがわかった。


ベッドに横たわる患者さんを医師や看護師が取り囲み処置している部屋もいくつかあった。


ICUを出るときに、執刀してくれた先生と記念の写真を撮っていただいた。


手術の後目が覚めたとき、夜中の3時ころに先生が様子を見に来てくれた。


先生に「何故心臓外科医になったんですか?」とやっとのことできいたところ、しばらくしてから、「人の役に立ちたかったんですかね。」と返事をしてくれた。


その時、命をいただいたからには自分も人の役に立ちたいと心底思った。




そうして私のICUでの生活は終わりました。

医師との相性

2020/06/24(水)

医療関係者には大変お世話になっている。

体調が悪くなってから、入院中はもちろんのこと、転院先でも、退院してからも。

今も月に2回の診察で大変お世話になっている。

しかし、相性というのはあると思う。

あまり人の話を聞いてくれないと、大丈夫なのかなと不安になる。

まだ心臓術後の経験が浅く、すべてが初めてに近いからなおさらである。

ちょっとしたことが心配の種になる。

手術後12日目に硬膜下血腫を発症した時も、その何日か前に巡回して来てくれた先生に、

「すごく脈拍が速いです。手術前半分以上の血液が逆流していたのに、人工弁に変えていただいて逆流がほとんどなくなって、頭の血管大丈夫ですかね?」

「カツーン、カツーンって首筋から頭に脈に合わせて響くんですけど。」と聞いてみた。

すると、

「絶対に大丈夫。どんどん良くなるから。」

と、満面の笑みと

「ビンビンだぜ」

って、グーのサイン出して安心させてくれた。

しかし残念ながら原因はわからないが、頭をぶつけたわけではないのに、その1週間後に頭の静脈が破れて硬膜下に血腫が出来てしまった。

その先生には大学病院に入院する前の手術説明をして頂いていたが、忙しい中、本当に丁寧にいろいろな事を説明してくださり、質問すべてに丁寧に答えていただいていた。

だから、「絶対って言ったじゃん。」なんて絶対言わないと決めているし、そんな気もしない。

ただ、絶対がないだけである。

しかし、目の前の転院先の先生、人の話を聞いてくれない。

「胸がドキドキします。」と稟告すると、「今は普通ですね。」って即答してくれる。

「逆流してないですかね?弁の縫合外れたりしないもんですかね?」

と質問すると、

「私はあなたの手術に立ち会ってないからどんな縫合したのかわかりません。」

って。

「いきなり心臓止まって死なないですかね?」

とすがると、

「いつ死ぬかは誰にも分からないんです。明日死ぬかも知れないし、死なないかも死なない。それはわからないんです。」

だって。

そうだよな。って思えない。

確かにいつかは人間は死ぬ。

しかしそんなことは聞いていない。 

ただ、

「大丈夫ですよ。びんびんですよ。」  

と一声かけてほしいんだけど。

やはりこれは相性だと思う。



10:58 病院に行けたの?"
10:58 今さっき病院行った着いた。今待ってる。"
11:37 はいよー❗
11:37 まだ待ってる。
12:33 終わった!

昼のメインテート0.625止めることになった。
でも、たまちゃん(先生)はメインテイト増やそうとしてたらしい。

でも脈拍が少なくなる症状があるなら減らすって。
心房細動とか悪い脈拍が原因かは症状が出てる時に見ないと分からないって。

ワーファリンは1.63だった。
まだ1週間だからこれから増えるだろうって。

他に心電図は異常なし、血液検査も異常なしだって。
目が回ることも言ったのにスルーされた。

たまちゃん信じていいのかな?
とりあえず、7月8日にもう一回見てもらうことになった。

手術を終えて


目が覚めて時計を見ると12時でした。


昼か夜かもわからない。
うとうとしてまた目が覚めてもほとんど時計は進んでいない。


本当に長い夜でした。


時々看護師さんがやって来て、人工呼吸機の管に細いストローのようなものを突っ込んで痰?を吸引してくれるようだが、咳き込んで猛烈に胸と背中が痛い。


そもそも人工呼吸機をつけていたのかもわからない。
ただの酸素マスクだったのかもしれないが、何かで吸引はされていた。


うとうとしては目が覚め、何度か起きる度に痛みが強くなり、痛さに悶えて体を動かすと少しして看護師さんがやって来る。


ボーッとした頭の中で、動くと看護師さんがやって来て点滴に何かをしてくれる。


確認してみたくなって、しばらくしてから体をくねくねと動かすとやはり看護師さんがやってきた。


何度か試したがやっぱりやって来てくれる。


ベッドの正面にあるカメラだかセンサーだかで察知しているみたい。体をくねくねと動かすと小さなチャイムがなる。少し大きく動かすとチャイムのテンポが変わる。うんと動かすとガンガンなる。この後、看護師さんがやって来る。


正解かはわからないが、多分人手不足解消のためにセンサーをつけているのだろうと納得した。


喉が乾いて仕方ない。


酸素マスクから出る空気もカサカサに乾いていて、のども気管も肺もカラカラ。


挿管の際に傷ついたのかのども痛い。3ヶ月たった今も違和感があり声がかすれる。


本当に長い夜にまんじりともせずいたが、ようやく朝が来た。


6時に部屋の電気がついた。
回りを見てびっくりしたが、機械だらけの無機質な部屋だと思っていたか、なかなか小綺麗なへやだった。


もっと驚いたのは、朝ごはんを食べると言うことだった。


水みたいなお粥。


もうひとつ驚いたのは、リハビリが始まったこと。


体がバラバラになるかと思った。


手術前に大体の流れは聞いていたが、この状態で本当にやるとは思わなかった。


こわかった。死ぬかと思った。


ここから先、自分がいかにビビリーだということがよくわかった。


自分はチキンなやつだと身に沁みました。

手術室にて

看護師さんにつれられて手術室がある病棟にやってきました。


手術室の入り口で手術室担当の看護師さんに迎えられて、氏名と生年月日の確認。


壁には一面にその日の手術の予定らしき張り紙がしてあり、それぞれの手術の担当看護師さんや執刀医らしい方が並んでいる。


看護師さんが自分の担当看護師さんに引き合わせてくれた。


手術室は15室あり、ずらりと並んでいる。


通りすがりに覗いてみると、驚くほど広い部屋に様々な銀色の機械が所狭しと置かれていた。


壁もステンレスの板が張り付けてあるのか、銀色でピカピカだった。


ようやく自分の手術室にたどり着き、そのまま歩いて手術台の傍らに立ったところで、再度氏名と生年月日の確認。


すぐにベッドに腰掛けてください。と言われて階段のような足場をのぼる。


すぐに横になってください。と言われて横になる。
イメージしていた丸く大きな無影灯ではなかった。
どんな形だったかは思い出せない。


麻酔科の女先生が「麻酔の準備を始めます。」と話し掛けてきた。


前日の全身麻酔の説明の時に、長い点滴生活ですっかり注射と点滴が嫌いになり、針も入れにくい血管になっていたので、血圧測定用に手の甲?の動脈にいれる針は「麻酔が効いてからにして欲しい!」とお願いしていた。


麻酔による血圧変化が見れないから「だめ。」と言われていた。


そのかわり痛くないように手っ取り早くやってくれるごとになっていた。


しかし、残念ながらいちばん最初の鎮静剤を射つために、左手の甲の血管に指す針が入らない。


緊張のためか痛みは感じない。


5回くらい針を刺し直された頃に、麻酔科の先輩医師らしき男性が、担当の女先生に「早くしろよ。眠らしちまえ。」と、いう趣旨のことを言うのが聞こえた。


担当の麻酔科の先生はひたすら「痛いですね。ごめんなさい。ごめんなさい。」と謝り続け、ようやく針が入った頃にはとても血圧測定用の針を射てる状況ではなかった。と思う。


すぐに別の看護師さんにマスクを被せられて「眠くなりますよ。」と、言われて意識がなくなったから。




目が覚めたとき、丸い壁掛け時計が12時をさしていた。



昼なのか夜なのかもわからない。



うとうとして少し眠ったと思ったら、1分くらいしか時計の針は進んでいない。


これを何十回も繰り返して、きっと時計が壊れているんだ。と思い直したところに看護師さんがやって来た。


今は夜中の12時過ぎで壁の丸い壁掛け時計は壊れていないことがわかった。


あとにも先にも、この時ほど時の進みが遅く感じたことはない。


痛みと息苦しさ、時間が進まない不安、薄暗い部屋、不気味な機械音、水が漏れるようなぴちゃっぴちゃっした音、手術がうまくいったのか?、いかなかったのか?


何にもわからなくて本当につらい夜でした。

手術を決めた理由

1月17日に地元の先生に紹介されて、家から3時間の場所にあるI総合病院に入院してベニシリンの点滴が始まりました。


そして4週間がたち、2月17日にK大学病院で経食道心エコーの検査を実施。


尤贅の状態を確認していただきました。


翌日、I総合病院に結果が到着。


先生によると、尤贅は1cmを大きく超えたままであり今後いくらか小さくなる可能性はあるものの、
組織から剥がれて血流に乗り、あちこちで閉塞を起こす可能性があり、


手術をした方が良いとのこと。


「長い点滴生活を終えるための、退院間近の卒業試験と思って検査を受けてきて!」とのお話しだったのに、急転直下の手術。


いきなりの話に言葉を失う。


とりあえず、奥さんにLINEで連絡。
仕事中なのですぐには繋がらない。


先生には「考えさせてください。」と言って時間を頂いた。


手術となるとまた入院が長引いてしまう。


会社の仕事のこともある。


だいたい心臓の手術なんて想像もしたことがない。


それから2日半の間、

①「やる」、
②「やらない」、
③「先送りする」、

の3つを、迷いに迷い、堂々巡りを繰り返し、インターネットを使って何かを調べ、何を調べても頭に入らず、何も手につかず、頭の中には常に「ん~」と低い音かしていた気がする。


そして20日の朝の先生の回診時に、「やります。」と返事をした。


決めた理由は、尤贅が剥離し、脳の中で梗塞すると大変重篤な障害が残る可能性があること。


先生の話によると、手術を受けない場合、先生によって微妙に数字は違ったが、20年間で40~60%(50%)の確率で梗塞が起こるとのことだった。


その梗塞は脳で起こる可能性もあり、半身不随などの後遺症が残ることがある。


また、意識が戻らないままの重篤な後遺症が残った患者さんを何人も見てきたとのこと。


それを聞いて腹が決まった。


大好きな奥さんに一生意識のない自分の介護をさせるわけにはいかない。


すぐに先生はK大学病院に連絡をして、手術室の空きを確認してくれた。


3月5日。


早すぎる。あと二週間。とは思ったが、最初に先生から話があった時にも予約が取れた!と言われていた気がする。


どの病院で?とか、なんて先生に?とか、首都圏の病院で?とか、を少し考え、少し調べたが、県内医療の最高峰の大学病院の予約がとれたとのだから、先生に従おう。と、決めた。


奥さんへの報告LINEを添付します。


ここまでも長かったけど、実はここが始まりだったみたいです。


〈LINE文書〉

(奥さん)❗️
お疲れ様です❗️
手術します❗️
3月5日木曜日、K大学病院で予約しました❗️
先に延ばしても安静状態でいないといけないらしく、また途中で感染したり再発したり心不全を起こすリスクもあるから早い方が良いそうです❗️
明日検査してその結果で、I総合病院を退院して来週家に帰れるか、そのまま入院して大学病院に転院して手術受けるか決まります❗️
大動脈弁は人工弁に置き換えます❗️
僧帽弁はひょっとしたら自分の弁をそのまま使えるかもしれないし人工弁になるかも知れないそうです❗️
色々検査もしてきたし菌の動きを抑えられてる今が一番リスクが少ないと考えられるそうです❗️
手術する場所はO病院でも良いと言われたけど、院長先生はもう歳とって執刀しない。ようなことを言ってたし、大学病院は人が多いから何かあってもなんとかしてくれそうだからそこにしました❗️
遠いから見舞いは退院までお預けだ❗️
心配ばかりかけてすみません。
ごめんね❗️
また夜電話します❗️

手術の日の出来事 

2020年3月5日に大動脈弁と僧坊弁の手術を行いました。
写真は手術室に向かう直前の奥さんとの写真です。

このブログは私の入院生活の記録です。


朝8時に手術室に入るために、10分前に病室をでて、歩いて手術室へ向かう。


奥さんと一緒に手術室の前まで行けるのかと思いきや、病棟のエレベーターの前までしかついて行けないとのこと。


術中の死亡率は4.9%、年齢等を補正して0.9%と前日の説明で教えて頂いていたため、ひょっとしたらもう奥さんに会えないかも知れないと思うと、話がしたいがなかなか言葉が出てこない。


道すがら、看護師さんが今日の天気やいろいろなことを話し掛けてくれるが全く頭に入ってこない。


せっかくだから少し奥さんと話がしたい。と、思ったがすぐにエレベーターの前に到着してしまう。


と、エレベーターが開き降りてきた別の看護師さんが、「手術室までの道のりが寒いので、何か羽織っていった方がいいですよ。」とのこと。


奥さんを促して、上着を取ってくるために喜喜としてUターンし病室へ。


これで少し話が出来るかなぁ。と思ったのもつかの間、元気な看護師さんは奥さんと私の間に入って「たしかに今日は寒い云々。」としきりに話し掛けてくれる。


緊張をほぐそうとしてくれているのだろうが、
「奥さんと話をさせてくれ~!」と泣きそうな気持ちになった。


まあ、若い元気な看護師さんはそんな経験もしたことがないだろうしわからないだろうな。と思うけど。


この看護師さん、結構天真爛漫で昨日の手術の説明の時に、先生が説明してる横に座ってついうとうと槽をこいでしまい平謝り。


だが、すでに2ヶ月近くたつ入院生活の中で看護師さんの超激務と献身的な働きをずっと見てきたのでまったくおこる気にもならず、むしろそのまま休んでていいよ。とも思えてきたくらい。


手術室までの道のりは寒かったような気もするが、あまり記憶がない。


長い渡り廊下を歩き、新病棟の建設工事現場を横を通って手術室とICUがある建物にたどり着いた。


手術室は全部で15室あるとのこと。
ずらりと並んだ大きな手術室を左にみながら、14番目の手術室に到着した。




これから少しずつ、記憶をたどりながらメモをしていきます。

術後3か月目 術後の定期検診 心臓少し小さくなる

2020/06/17(水)

11:28 ○○総合病院の診察終了。

心臓は入院した時より小さくなっている。

血液検査のBNPという心不全の指標も26.4で入院した時より下がっている。

他の血液検査の数値からもおかしくない。 

レントゲンから心臓周辺に水も溜まってない。

心電図もおかしくない。


ただ、またワーファリンの効き目が悪いらしい。


今ワーファリン7.5mgに増量してるのに、INR値1.45に下がってる。

このため、今日から増量して8mgになることになった。

なんでワーファリン効かないのだろう。


あと、時々息苦しいのは、喘息ではないかとのこと。

しかしここ○○総合病院には呼吸器科の先生は常駐ではなく、○○大学病院から週二回来てるだけでしかも肺がんとかの重い病気を見る先生で喘息の専門ではないらしい。

だからまた近所の病院でみてくれといわれた。

なんだかな。


11:42 とりあえず、カレー待ち中🍛。😢

術後2か月目 術後のタケキャブ

2020/05/12(火)

うまれてこのかたこんなの初めて❗というくらい激しく長い腹痛。

普通の状態なら「何食べたんだろね?」ってくらいだが、心臓の手術をしてまだ2ヶ月。

何もかもが初体験でビビりまくっている最中である。

新しく主治医になった先生は循環器内科を標榜しているが、あまり臨床経験がないのか何かにつけて「地元のかかりつけ医に診てもらってください。」という。

この腹を何とかしないとまた入院して。。。なんてことになりかねない。

やむを得ず、地元のクリニックへ。

この先生、心臓手術のきっかけとなった感染性心内膜炎を見つけるべく総合内科のある大病院を紹介してくれた院長先生である。

まずノロウイルスの検査。

次に採血。

そのあとレントゲン撮影。


結論は、原因は心臓内科医が処方している、今毎夜飲んでるタケキャブって薬の副作用だろうとのこと。

ノロは検査で確認して違う、
血液検査で急性膵炎も違う、
腎機能は正常、
炎症もCRP正常、
腸炎も炎症反応なく、
レントゲン像からもない。

結局、薬はもらえずタケキャブをやめなさいっていうことになった。


この先生、ズバズバ言ってくれるのだが、今の主治医にたいして、「普通主治医なら色々調べたり指示するのに。」って。

けっこうぶつぶつ言っていた。

そういう先生なんです。と言って失礼した。

次は今診ていただいている病院への電話だ。

何人かのパスがあり、看護師さんが主治医の先生に聞いてくれた。

主治医の先生曰く、
「タケキャブは止めて良いが、それで何日で下痢が止まるかはわからない。薬じゃないから何日かかかるだろう。」だって。


結局、四五日してお腹の状態は改善した。


薬の副作用がこれ程激しいとは思わなかった。

今回お世話になったクリニックの院長先生から注意喚起いただいた。

「感染性心内膜炎の原因が糸ようじはありえない。原因がわからないとまたかかるから気をつけなさい。」

ありがとうございます。