感染性心内膜炎闘病記とその後の生活

感染性心内膜炎により大動脈弁の機械弁置換と僧坊弁の形成術を受けました。術後12日目に左硬膜下の出血が起こりし言葉が出なくなりました。直後に回復しましたがどうも舌の回りがわるくなりました。その後の愛犬との平穏な生活の記録です。

手術を終えて


目が覚めて時計を見ると12時でした。


昼か夜かもわからない。
うとうとしてまた目が覚めてもほとんど時計は進んでいない。


本当に長い夜でした。


時々看護師さんがやって来て、人工呼吸機の管に細いストローのようなものを突っ込んで痰?を吸引してくれるようだが、咳き込んで猛烈に胸と背中が痛い。


そもそも人工呼吸機をつけていたのかもわからない。
ただの酸素マスクだったのかもしれないが、何かで吸引はされていた。


うとうとしては目が覚め、何度か起きる度に痛みが強くなり、痛さに悶えて体を動かすと少しして看護師さんがやって来る。


ボーッとした頭の中で、動くと看護師さんがやって来て点滴に何かをしてくれる。


確認してみたくなって、しばらくしてから体をくねくねと動かすとやはり看護師さんがやってきた。


何度か試したがやっぱりやって来てくれる。


ベッドの正面にあるカメラだかセンサーだかで察知しているみたい。体をくねくねと動かすと小さなチャイムがなる。少し大きく動かすとチャイムのテンポが変わる。うんと動かすとガンガンなる。この後、看護師さんがやって来る。


正解かはわからないが、多分人手不足解消のためにセンサーをつけているのだろうと納得した。


喉が乾いて仕方ない。


酸素マスクから出る空気もカサカサに乾いていて、のども気管も肺もカラカラ。


挿管の際に傷ついたのかのども痛い。3ヶ月たった今も違和感があり声がかすれる。


本当に長い夜にまんじりともせずいたが、ようやく朝が来た。


6時に部屋の電気がついた。
回りを見てびっくりしたが、機械だらけの無機質な部屋だと思っていたか、なかなか小綺麗なへやだった。


もっと驚いたのは、朝ごはんを食べると言うことだった。


水みたいなお粥。


もうひとつ驚いたのは、リハビリが始まったこと。


体がバラバラになるかと思った。


手術前に大体の流れは聞いていたが、この状態で本当にやるとは思わなかった。


こわかった。死ぬかと思った。


ここから先、自分がいかにビビリーだということがよくわかった。


自分はチキンなやつだと身に沁みました。