感染性心内膜炎闘病記とその後の生活

感染性心内膜炎により大動脈弁の機械弁置換と僧坊弁の形成術を受けました。術後12日目に左硬膜下の出血が起こりし言葉が出なくなりました。直後に回復しましたがどうも舌の回りがわるくなりました。その後の愛犬との平穏な生活の記録です。

手術を決めた理由

1月17日に地元の先生に紹介されて、家から3時間の場所にあるI総合病院に入院してベニシリンの点滴が始まりました。


そして4週間がたち、2月17日にK大学病院で経食道心エコーの検査を実施。


尤贅の状態を確認していただきました。


翌日、I総合病院に結果が到着。


先生によると、尤贅は1cmを大きく超えたままであり今後いくらか小さくなる可能性はあるものの、
組織から剥がれて血流に乗り、あちこちで閉塞を起こす可能性があり、


手術をした方が良いとのこと。


「長い点滴生活を終えるための、退院間近の卒業試験と思って検査を受けてきて!」とのお話しだったのに、急転直下の手術。


いきなりの話に言葉を失う。


とりあえず、奥さんにLINEで連絡。
仕事中なのですぐには繋がらない。


先生には「考えさせてください。」と言って時間を頂いた。


手術となるとまた入院が長引いてしまう。


会社の仕事のこともある。


だいたい心臓の手術なんて想像もしたことがない。


それから2日半の間、

①「やる」、
②「やらない」、
③「先送りする」、

の3つを、迷いに迷い、堂々巡りを繰り返し、インターネットを使って何かを調べ、何を調べても頭に入らず、何も手につかず、頭の中には常に「ん~」と低い音かしていた気がする。


そして20日の朝の先生の回診時に、「やります。」と返事をした。


決めた理由は、尤贅が剥離し、脳の中で梗塞すると大変重篤な障害が残る可能性があること。


先生の話によると、手術を受けない場合、先生によって微妙に数字は違ったが、20年間で40~60%(50%)の確率で梗塞が起こるとのことだった。


その梗塞は脳で起こる可能性もあり、半身不随などの後遺症が残ることがある。


また、意識が戻らないままの重篤な後遺症が残った患者さんを何人も見てきたとのこと。


それを聞いて腹が決まった。


大好きな奥さんに一生意識のない自分の介護をさせるわけにはいかない。


すぐに先生はK大学病院に連絡をして、手術室の空きを確認してくれた。


3月5日。


早すぎる。あと二週間。とは思ったが、最初に先生から話があった時にも予約が取れた!と言われていた気がする。


どの病院で?とか、なんて先生に?とか、首都圏の病院で?とか、を少し考え、少し調べたが、県内医療の最高峰の大学病院の予約がとれたとのだから、先生に従おう。と、決めた。


奥さんへの報告LINEを添付します。


ここまでも長かったけど、実はここが始まりだったみたいです。


〈LINE文書〉

(奥さん)❗️
お疲れ様です❗️
手術します❗️
3月5日木曜日、K大学病院で予約しました❗️
先に延ばしても安静状態でいないといけないらしく、また途中で感染したり再発したり心不全を起こすリスクもあるから早い方が良いそうです❗️
明日検査してその結果で、I総合病院を退院して来週家に帰れるか、そのまま入院して大学病院に転院して手術受けるか決まります❗️
大動脈弁は人工弁に置き換えます❗️
僧帽弁はひょっとしたら自分の弁をそのまま使えるかもしれないし人工弁になるかも知れないそうです❗️
色々検査もしてきたし菌の動きを抑えられてる今が一番リスクが少ないと考えられるそうです❗️
手術する場所はO病院でも良いと言われたけど、院長先生はもう歳とって執刀しない。ようなことを言ってたし、大学病院は人が多いから何かあってもなんとかしてくれそうだからそこにしました❗️
遠いから見舞いは退院までお預けだ❗️
心配ばかりかけてすみません。
ごめんね❗️
また夜電話します❗️