感染性心内膜炎闘病記とその後の生活

感染性心内膜炎により大動脈弁の機械弁置換と僧坊弁の形成術を受けました。術後12日目に左硬膜下の出血が起こりし言葉が出なくなりました。直後に回復しましたがどうも舌の回りがわるくなりました。その後の愛犬との平穏な生活の記録です。

術後3か月目 手術後の入院生活

手術の当日と次の日はICUにいて、痛みといろいろな管に繋がれた窮屈さと、何も出来ない退屈さで長い長い二日間でした。



朝ごはんのお粥は、米を食べたいというより水の代わりに水分がとりたいから食べる。という感じ。


切って縫ったばかりの心臓にお粥が入らないかと心配になる。入る訳はないが、初体験の手術でありすべてがわからない。心臓を手術するということが信じられない。


水はほとんど飲ませてもらえない。


そうこうしてるうちに、夜になった。


明日からはリハビリが始まるらしい。
動くなんて信じられない。


翌日のリハビリは、まず起き上がってベッドの端に座ることから始まった。


体が重くて動かない。手術室に歩いて行ったとは思えないくらい体が重い。


ひょっとしたら体を動かすと縫い合わせた心臓や胸の傷が弾けそうでこわかったからかも知れない。


ゆっくりゆっくり体を動かしていく。
次はベッドの向かい側にある椅子まで歩いていく。


本当に怖いことだらけだった。


リハビリが終わるとICUの看護師さんが、「退屈でしょう。」といってテレビを持って来てくれた。


ありがたいが、この状態で「テレビみます?」と聞く方も聞く方だし、本当にICUのベッドサイドにテレビをおくんだ。と信じられない思いだった。


普通に見たことがある番組がやっていて、笑える番組を選んでくれているが、まったく笑えない。


むしろ信じられない。人がこんな思いをしてるのに。


ひとつひとつ、目の前で自分の身におこる不思議に驚きながら時間が過ぎていく。


執刀してくれた先生によると経過は順調らしい。
翌日、予定通り一般病棟に移動した。


移動には執刀してくれた先生がわざわざ私がのった車椅子を病室まで押して歩いてくださった。


部屋を出ると驚くほどの数の部屋がICUにあることがわかった。手術室の数が15部屋あるから当然かも知れないがとんでもなくICUが広いことがわかった。


ベッドに横たわる患者さんを医師や看護師が取り囲み処置している部屋もいくつかあった。


ICUを出るときに、執刀してくれた先生と記念の写真を撮っていただいた。


手術の後目が覚めたとき、夜中の3時ころに先生が様子を見に来てくれた。


先生に「何故心臓外科医になったんですか?」とやっとのことできいたところ、しばらくしてから、「人の役に立ちたかったんですかね。」と返事をしてくれた。


その時、命をいただいたからには自分も人の役に立ちたいと心底思った。




そうして私のICUでの生活は終わりました。